市毛勲(著)『朱の考古学』読了
市毛勲(著)『朱の考古学』読了。新版(1998年版)は高値がついており買えなかったので、70年代くらいの古めのバージョンを入手しました。Amazonで数百円。とても面白かったです。「朱」がテーマとなっておりますが、この朱は広義の意味の朱色のことであって、辰砂だけではなくて、辰砂と赤鉄鉱を主に扱っているのですが、辰砂と赤鉄鉱の両方を砕いて顔料にしてみたからこそ、読んでいて面白かったのでありましょう。いやしかし私は古墳が好きであちこち見て回っているにも係わらず、朱に関してあまりにも無学でありました。もっと早く読んでおきたかったと言えましょう。

それはともかくとして、絵画材料的に参考となりそうな点をピックアップしたいと思います。

若杉山辰砂採掘遺跡(弥生時代後期~古墳時代前期)の石杵・石臼の写真(市毛勲『朱の考古学』より)を見ると、これなら辰砂他、鉱物を砕くのに良さそうな感じの形状なので、参考にしたいところです。鉱物の初期粉砕には乳棒的な石と石臼的な石で砕いたときの威力が凄まじく、ハンマー、乳棒&乳鉢や練り棒&大理石パレットなどばかばかしいくいに砕きやすいのです。これは研究するべきでありましょう。

上記の石杵・石臼は辰砂採掘現場で発掘されたもので、粗めの粉砕に使われたのかもしれません。古墳出土の石杵・石臼の方は、採掘場のものより仕上げ段階の細かな辰砂作りの為に使われるのたのかもしれません。

しかしこれも練り棒&大理石パレットより使い勝手がよさそうな予感があります。注ぎ口的なところが、このまま流水水簸もできそうな気もしないでもありません。


『朱の考古学』は奈良に有名な酒船石、あれを辰砂の流水水簸システムであると説いてますが、ちょっとそれは無理があるんじゃないかと思わずにはいられませんが、真偽はともかくとして、比重選別水簸ツールとして参考にしたい点がいろいろあります。辰砂は重いから水が流れているところにあれば不純物から流れ去ってゆきます。粉砕した辰砂粉末に水を注ぐと、先に不純物が流れて、とても鮮やかな赤が残るのですが、古墳の埋葬のように大量の辰砂を水簸するとしたら何らかの形状の流水水簸ツールが必要であることは確かでありましょう。図の下で紹介されている、出水から出土したという石像物は、流水水簸システムとしては、なかなか現実的な感じがします。しかし酒船石みたいに途中に池があると、そこから水簸された辰砂を掬い出すことができそうな感じもありますし、いずれにしても想像で話しても仕方ないのでやってみたような気もしますが、数キロ単位の大量の辰砂が要るでしょうから難しいことではありますが、もうちょっと小規模な形で流水水簸システムを構築できないであろうかというのはちょっと考えて、また辰砂を落札してみました。この前よりも大きめです。

しかし、これでもまだ足りないので、あと2、3個欲しいところです。私は赤い顔料ならよく使うので実用上も無駄にはならぬでしょうし。

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松田壽男(著)『古代の朱』他読了
松田壽男(著)『古代の朱』を読みました。『丹生の研究 歴史地理学から見た日本の水銀』の方が有名ですが、こちらは中古価格が高騰しており入手はあきらめて、一般読者向けに書き下したという『古代の朱』の方を読みましたが、これでも充分なボリュームでした。バーミリオン、硫化水銀、あるいは水銀というものにへの関心が非常に高まる一冊であったといえましょう。私は赤い色が好きでして、バーミリオンやカドミウムレッドはよく使います。絵画用途ではバーミリオンは変色しやすいので、現代ではカドミウムレッドに置き換えるよう言われておりますが、しかし、これを読んだらバーミリオンを使わずにはおれないところです。と言ってもふつうは硫黄と水銀を掛け合わせた合成バーミリオンしかふつうは油絵具にはありませんが、それも西洋では中世以来の伝統があるといえるでしょう。しかしやはり天然辰砂も使いたくなるというものです。日本画の岩絵具ではありますけれども、油絵具にしたらどうなのでしょうか。
さて、『古代の朱』は一般向けに書かれたとは言っても、だいぶ年季が入っておりますので、少々読みにくいところはあるかと思います。私は他にも日本の朱やその他の金属関連の本も買ってはみたのですが、
蒲池明弘(著)『邪馬台国は「朱の王国」』が面白かったです。松田壽男に非常に影響された内容であり、そこから邪馬台国の話になるという、学術的な本というよりは一般向けの読み物であるのでしょうけれども、この人は文章がとてもうまいです。ちょっと前掲の本で意味不明だった部分もすんなり理解できたりします。ちなみにこれらを読んで、それからいろいろ調べていたのですが、youtubeに無断アップロードされていると思われる「所さんの目がテン」という番組の水銀の回が非常によくできていたので、消されてしまう前に一度見ておくといいんじゃないかと思います。

それから、文化財保存修復学会第43回大会 研究発表集が届きました。USBメモリ版をリクエストしましたので、このままどこかにしまったりしたら、そのまま無くてしてしまう恐れもありますので、気になるものをその日のうちに読むことにしました。やはり顔料と関わりのあるものをピックアップして読んでしまうわけですが、「嘉永年間の役者絵に用いられた石黄の分析」、「鉛金属の腐食と空気環境との関係についての調査事例」、「東海市指定文化財「釈迦十六善神図」「阿弥陀如来象」の修復及び調査報告」、「西洋中世の処方に基づいた青色人工顔料の歴史的考察」がいずれも顔料に係わるテーマで勉強になりました。特に「西洋中世の処方に基づいた青色人工顔料の歴史的考察」は今後が楽しみです。

レーキ顔料づくりの方はコチニールに移行したいところですが、National Gallery Technical Bulletin Volume26にThe Technology of Red Lake Pigment Manufacture: Study of the Dyestuff Substrateという記事があったのだけれども、これはなかなな優秀そうな情報源であります。でも、今読むと理解が半端になりそうなので、まずは現在の知識でコチニールをレーキ化しつつ一通り材料を集め、その後に目を通した方がよさそうであります。しかし、この号は2005年に購入して放置しておりましたが、改めて開いてみたら、面白そうな記事ばかりであります。買ってほっとしてしまうというのが一番よくない気がしますが、やっぱり何かの切っ掛けがないと素通りしてしまうということもありますので、こういうことも何かの縁なのでありましょう。なお、現在はwebで公開されております。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 11:44 PM | comments (0) | trackback (0) |
『日本名建築写真選集(第14巻)伊勢神宮・出雲大社』読了
フジミ模型の出雲大社1/100を買おうかなと思いつつ、注文ボタンを押さずに過ぎておりますが、さすがの出雲大社だけあって、なかなかの大きさらしく価格も¥8,800(税込)となっており、実売価格は6千円前後だけれども、それでもプラモデルとしてはなかなかのお値段であります。まぁ、買うと思いますが、前に買った諏訪大社もまだ作っておらなんで、あまり先走りして買ってもなぁというところではあります。先に下調べだけしておこうと思って、『日本名建築写真選集(第14巻)伊勢神宮・出雲大社』1993を読了。前半は写真集、後半は梅原猛の歴史的な、あるいは文学的な解説、そして稲垣栄三による具体的解説となっているのですが、大変勉強になりました。限られた紙数ながら、基礎的な知識を得たように思いましたが、むしろ自分の知識の乏しさを痛感したとも言えます。まぁ、これ読んでるとむしろ伊勢神宮が気になりますが、伊勢神宮のプラモデルはないみたいですね。ウッディジョー「1/150 神明造り 神社」は近いかもしれませんが、まだウッディジョーに手を出す勇気はないです。やはりフジミの出雲大社を買わねばなりません。このブログの記事を投稿したら、ポチっと注文ボタンを押しにいかねばなりません。なお、1/50銀閣寺は既に購入したのですが、あまりの小ささに驚きました。税込1760円なのですが、ガンダム旧キットだったら300円くらいの箱に入っておりましたよ。ガンダム市場と比べても仕方ないのですが。でも、小さいながらも先日調べた銀閣の特徴はけっこう忠実に再現されており、教材としては立派なものであると思われます。

さて、最近はできるだけ図書のような資料は買わずに、図書館などで読んで済ませた方がいいのではないかな、というふうに考えを変えております。できるだけ、一回読んだときに記憶するように訓練せねば、膨大な量の資料に埋もれるだけで、時間と物理的空間だけ無くなっていくようで。模型制作の場合は具体的に色とか形状を操作していくので、けっこう印象に残って、学習方法としてやはりよろしいかなと思います。しかし、作った模型を置く場所が必要という、物理的空間の占め方がそろそろ問題になってきておりまして、とりあえず部屋の本をどけて、本棚に置いておこうかなと考えております。図書の方は外の物置に移してしまおうと思って、現在、その為の適当な本棚を組み立てようとしているところです。180センチくらいの高さの本棚作って、物置に入れておこうかと思いまして。物置に入れて湿気って黴生えたりする可能性もありますが、べつにそんな念入りに保存するほどのものでもないし、最低限読める状態であればもういいです。というわけで、安いパイン材を買ってきて切り始めたわけですが、ぱぱっと適当に作ろうと思っていたものの、最近大工作業から遠ざかっていたので、勘が戻らない。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 10:47 PM | comments (0) | trackback (0) |
渡辺照宏(著)『法華経物語』読了、そしてフジミ模型「多宝塔」制作
暑さも和らいですっかり過ごしやすい気温になってきましたが、もはや暑さを理由にダラダラしていられなくなったわけで、渡辺照宏(著)『法華経物語』を読了。これは名著でありますな。日本美術の勉強の為に仏教経典等の解説書、あるいは現代語訳というか要約というか、そのようなものを多々入手して読んでおるのですが、その中でもたいへん優れた一品ではなかろうかと思います。まぁ今の私の知識で判別できるものでもありませんが、あるいは私の趣味に合っているというだけかもしれませんが。日本美術において建築と彫刻の世界は経典と宗派についての知識がなければ何もわからぬ。絵画においても、一方は日本文学、一方は仏教美術とも言えるし、それは仮名と漢文の違いとも言えるかもしれぬのですが、日本文学はいろいろ読んでおりましたが、経典はまだまだ不勉強なだけあって、ちょっと読むとなんだかすごくいろいろ知ったような気がして楽しいと言えるでしょう。法華経の見せ場は見宝塔品かと思われますが、いままで気にしていなかった多宝塔も気になってきて、是非とも著名な多宝塔を訪れてみたいと思ったわけですが、遠くに旅行は控えた方がいいかと思い、代わりにフジミ模型の多宝塔(石山寺)プラモデルを購入。いつも塗装とかいろいろ考えているうちに作る機会を逸してきたので、今回は何も考えずに接着剤だけでぱぱっと組み立てました。
多宝塔
箱は大きかったのですが、なかのモデルは思ったより小さかったです。しかし垂木、肘木やその他の装飾など、細部はよく再現されており、自分で組み立ていくうちに印象に残るという意味で、これは建築の形状とか、様式とかを学ぶのにいいかもしれません。これはその他の建築モデルも作ってみたくなってきました。なお、金型が古いのか、バリが非常に多かったです。カッター等でバリを取りつつ進めるのですが、バリなのかデティールなのか微妙なところも多くて悩みどころでありましたが、そういうところが昔ながらのプラモ制作という感じで楽しいとも言えるでしょう。塗装する場合ですが、これは一回作ってみたないと塗装の計画を立てるのは難しいかと思われます。塗装しなくても概ね色分けはされているので、説明的なモデルとして使用するなら、むしろ何も手を加えない方がいいかもしれません。

その他には美川圭(著)『白河法皇 中世をひらいた帝王』読了。最近、ずっと日本史についての本を読んでおりまして、現在のところは平安期を中心に読んでおりますが、そろそろ中世へ移行したいところでありますが、思い返せば、武田恒夫(著)『狩野派絵画史』を読もうとして、ちと日本史の知識が足りぬなと感じで読んでいるうちに、当初の目的はすっかり忘れてしまって、何故か古代史から読んでおりますが、いやしかし改めて読んでみると、何もかも美術史と結びついており興味深いところであります。

福満しげゆき(著)『中2の男子と第6感』全4巻読了。久々にマンガ本を読んだような気がしますが、大変面白かったです。引きこもり的な箱庭的な部分と、そこから話が広がってゆく展開とがなかなか絶妙でありますが、最後の方はちょっと感動してしまいました。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 01:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
アロイス・リーグル(著)『美術様式論 装飾史の基本問題』長広敏雄訳、岩崎美術社 美術名著選書 1970 読了
国民年金年一括分194,320円、自動車税34,500円、文化財保存修復学会の年会費8,000円など支払いました。間もなく住民税、そして夏には車検となかなか大変でありますが、払えるときに払ってしまいたい質なので、年一括で払えるものは払うのです。それにしても国民健康保険は高いなぁとずっと思っていたのですが、新型コロナの件を経てみると、いざというとき誰でもちゃんと診てもらえるということ考えると安いものであったなとちょっと改心しましたが、それはともかくとして、ゴールデンウィークはいっぱい本を読むぞと思っていたのですが、ずっとリーグル(著)『美術様式論 装飾史の基本問題』長広敏雄訳を読んでいて、そして連休明けて数日経ってようやく読み終わったところです。とてもとても勉強になりました。今まで見えてなかったものが見えてきたといいますが、見ても大して関心の無かった図像にメラメラと関心が沸いてくると言えます。19世紀に書かれた本であるからして、最近の論とも照らし合わせていろいろ確認したいところですが、それもまた楽しみであります。本書の中心は古代ギリシアであるけれども、その流れでビザンチン美術やアラベスクへと話は続くのでありますが、しかし今考えるともやは19世紀までの全て時代の装飾に理解が深まるのではないかと思われます。絵画とか彫刻とか建築への関心で終わっているうちはまだまだ美術の入り口に居るに過ぎないと言ってもよいのではないか。美術が何かと語るにはまだまだほんの一部しか見ていないのではないか。
読むのに時間がかかったのは、登場する植物を手当たり次第に買っては植えていたということにもよります。アイビーやらアカントスやら、地上に植えられるもの、そして東北でも植えられそうなものは全部植えました。ロータスはさすがに池でもなければ難しいので、保留にしてありますが、でもロータスの花の季節になったら、伊豆沼にでも行ってみますか。それにしても、19世紀の書であるからして、まだ絵画の世界で抽象表現が現れる前と考えると、その点でも興味深い。とはいいつつ、文章で装飾を説明されても理解に時間がかかるのか、いやでもやはり文章がすこぶる読みにくい気がしたのだけれども、細かい部分については、たぶん半分どころか1/3も理解してないような気がするのですが、しかし全体としての大意は伝わってきたような。どうだろう。なお、『様式への問い 文様装飾史の基盤構築』加藤哲弘訳、中央公論美術出版、2017という新しい翻訳もあるようなのですが、税抜定価28000ということで手が出なかった。リーグルの代表作『末期ローマの美術工芸』は33,000円なのか。しかし、春休みから連休にかけて読むはずであった本が山ほど積んであるので、それどころではないのでまぁいいのだけれども。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 01:06 AM | comments (0) | trackback (0) |
イリアスをどの訳で読むか
ギリシア文明の文学や美術を軸とした古典主義は、1900年前後まではまさにヨーロッパの価値観そのものであり、同時にアカデミズムの特徴のひとつでもあって、それを克服するのが20世紀の美術だったようにも見える。しかしそれくらいの影響を与えるくらいだから、古典にはやはり圧倒的な魅力があったとも言えましょう。特にルネサンス期、バロック期など、古典への熱い情熱みたいなものに溢れており、それを抜きに技術だけ見ては一面的な物の見方となってしまうと思われるのですが。昨今の石膏デッサン論争の件もあることですし、ちょっと古典古代の魅力を再検討してみたいところです。さて、古典古代の魅力を共有するにはなんといってもイリアスを読む、に尽きるのではなかろうか。古代ギリシア人なら誰もが読み、生き方の規範としたという叙事詩であり、その後もギリシア神話系の文学では最も重要な作品であり続け、19世紀にも幾多の考古学者を駆り立てた物語である。中世からルネサンス当初にかけては、ラテン語の叙事詩であるアエネイスがやはり重要度が高かったのか、ダンテの神曲の案内役はヴェルギリウスであるけれども、それ以外はやはり一貫してイリアスが最重要であったろう。ホメロス作「イリアス」は、ミケーネ文明崩壊後のいわゆるギリシアの暗黒時代が空ける頃、紀元前8世紀に成立したとされる作品で、古代ギリシア文学の中でも最古期のものである。当時は吟遊詩人が活躍し、様々の叙事詩を謳って歩いていたと思われるが、一個の作品としてまとまって出現した世に残った最初の作品であるけれども、1万6千行に及ぶ長大な叙事詩で、古代ギリシアを通しても最大の文学作品である。ようやくポリスが出現し、総大理石のギリシア神殿もまだなく、幾何学紋様のギリシア陶器を作っていた時代、ホメロス自身が実在の人物なのかもわからないが、ちょっと特異な特徴があり、完成度もすこぶる高いことから、大枠は一人の詩人が作ったという説に賛成である。トロイア戦争を描いた作品だけれども、ちょっと変わった特徴がある。まず、トロイア戦争全体ではなくて、10年間の戦いの中の50日間だけを描いている。ふつうこれほど長大な作品ならトロイア戦争の発端となったパリスの審判から始まり、クライマックスはトロイの木馬によるトロイア陥落になりそうなところである、というのが現代からみたら一般的な感覚かと思う。別の詩人によりそれらの部分の叙事詩も作られているが、イリアスよりも成立は後で、作品の質も劣っていたとされ、現存していない。トロイア陥落語の物語オデュッセイアもイリアスに劣らず長大な叙事詩であり、こちらもホメロス作とされるが、年代はイリアスより半世紀後くらいになるということなので、同一人物によるのか微妙である。オデュッセイアの方は、起伏に富んだ冒険談であり、一つ目の巨人など神話的な怪物も登場するなど、我々が神話というものに抱くイメージに近い。現代人にとってはオデュッセイアの方が面白いと思う意見が多いであろう。それと比べると、イリアスの方はやはり特異な作品のような気がする。10年も続いた戦争の末期であり、終始殺伐とした雰囲気の戦闘シーンが続き、それも解剖学的な丁寧さで殺戮を描くのが特徴である。例えば、槍が延髄に刺さって舌を貫いて前歯に当たって止まった、等々の生々しい描写が続き、そしてその者の出身地、生い立ち、両親などが言及され、大切に育てられたが親孝行する前に死にました、などという文言で締められる。それらの名前や地名は実在のものだったかもしれないけれども、ほとんどは特定されていない。そのような描写が延々と続き、夜になれば、死者を火葬し、牛を解体して焼いて神々に捧げ、肉とワインを飲んで眠る。日々それを繰り返しているのだけれども、実際に物語を精査すると50日間で行なわれた戦闘の数はそれほど多くない。でもひたすら戦っているだけに感じられるのである。トロイ戦争は、ギリシア勢とトロイア勢の戦争であるが、オリュンポスの神々は(ゼウス主神の目を盗みながら)各々肩入れする陣営に味方する。基本的に姿は現さず他の人間の形になって介入する。不思議な怪獣なども過去の回想を除いて出てこない。トロイの木馬のような現実味のなさそうなエピソードもない。神々の物語でもあるのに、圧倒的な現実感がある。話の筋としては冒頭まず、ギリシア側の英雄アキレウスが総大将アガメムノンとの確執により戦線を離れ、以降、ギリシア側が劣勢に立たされるところからはじまる。血なまぐさい戦闘が延々続いたのち、親友パトロクロスの死をきっかけにアキレウスが戦線に復帰するが、同時にゼウス主神はオリュンポスの神々に対し、今後は自由に介入してよろしいと許可を与え、人間と神々が入り乱れての大戦闘が開始されるのがまさにクライマックスシーンであろう。アキレウスはトロイア側の英雄ヘクトルを倒すが、親友を失った悲しみは癒えず、戦車にヘクトルの遺体を括り付けて延々と引き釣り回して日々が過ぎる。ある夜、父親のトロイア王プリアモスが単身アキレウスの元にゆき、息子の遺体を返してくれと願い、アキレウスは遺体を引渡し、葬儀の間、休戦の約束をする。トロイア勢がヘクトルの葬儀を盛大に挙げたところで物語が終わる。常に人が死んでき、自分も明日は死ぬ身であることをひたすら感じ続ける。これほど悲壮感の漂う作品はないはずだけれども、実は何故かちょっと心地良いところもある。不安や悩みを抱えるとき、この叙事詩が慰めになり、この中に身を置きたくなることがきっとあろうかと思われる。そしてそこにオリュンポスの神々が介入し続けるのであるから、長大な詩を読み終える頃にはきっとギリシア神話の神々が他人事ではなくなっていることであろう。人々がこの作品を読み続ける限り、オリュンポスの神々も人々の中に生き続け、美術作品にもなるのも当然であろう。これは要約したダイジェスト版、ギリシア神話の解説書、トロイ戦争の映画等では絶対に体験できない。50日間を1万6千行で共有してこそである。さて、イリアスは叙事詩であるから、韻文であり、そして当時としても古い言い回しが使われていたという。日本語訳はいろいろあり、私などが批評できるものではないのだけれども、韻文風の訳だと、やはり日本語には違和感があるような気はする。もちろん韻文訳も素晴らしいが、しかし初めて読むにはハードルが高い。あまり話題になっていないけれども、個人的には小野塚友吉訳『完訳イリアス』がお薦めな気がする。まさかのですます調散文訳であり、読みやすさでは一番である。散文訳というだけはなく、この叙事詩は倒置法的な言い回しが多くて、その辺が日本語に馴染まないところがあるのだけれども、それを読みやすいように配置換えしているようである。なお、読みやすいけれども殺伐とした雰囲気には一切妥協がない。読みやすいのがいいか、叙事詩風の雰囲気を堪能するのがいいのか、ちょっと意見はわかれそうだけれども、まるで人気講師が講演をしているようなふうに自然に聞こえるので、ある意味、現代日本の語り部として考えればこれもありかと。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 10:14 AM | comments (0) | trackback (0) |
人間の知恵シリーズ
さ・え・ら書房「人間の知恵」という児童向け図書のシリーズを読んでいたのだけれども、これがなかなか勉強になる。時に目から鱗というか、物事に対してまだまだ基本的な知識すら身に付いていなかったのだなと認識させられる。単なる説明のみでなく、歴史上どのような方法が行なわれてきたかという点に多くのページが割かれているのだけれど、結果を説明されるよりも、発展や発明の過程を順に追っていく方が理解しやすい。歴史書みたいな感じになっている点で、読み物としても面白くなっている気がする。

目を通したものをざっと挙げてみると、まず、『紙のはなし』は、紙とはいったい何か、どのように作るのか、どのように作ってきたのか等、紙について書かれたもので、私が読んだ中では一番すっきりまとまっている。『あかりのはなし』、一見画材と無関係のようにも見えるが、ちょっとは関係ある。震災のときに長いこと停電になって気が付いたけれども、蛍光灯などの現代の照明がないと夜はほとんどの作業ができず、朝になるのをじっと待つような感じであって、蛍光灯にいろいろと不満のある制作者は多いと思うけど、なんだかんだで基本的には現代の照明は素晴らし過ぎるものでありますな。『せんたくのはなし』、せんたくの話は言い換えれば、アルカリの話であり、どのようなものからアルカリを得たのかという話でもある。『ガラスのはなし』などに目を通してみたが、限られた字数に非常にスマートに概要がまとめられており、『ガラスの技術史』(黒川高明)のような本を読む時間がなければ、こちらの本でもいいかもしれない。

そして、『鉄のはなし』に感化され、鉄鉱石から鉄を作るまでをやってみたいと思ったりして、特に深い考えがあったわけだけはないけれども、手元にある赤鉄鉱(左)と黄鉄鉱(右)を灯油式窯にて800℃で焼いてみた。
赤鉄鉱(左)と黄鉄鉱(右)
  ↓  ↓
赤鉄鉱(左)と黄鉄鉱(右)
黄鉄鉱は亜硫酸ガス(二酸化硫黄)を放出して、赤鉄鉱的なもの、赤い酸化鉄、弁柄などと呼ばれるものに変化した模様。黄鉄鉱は鉄の素材としてはあまり価値はないようである。訳も分からずいきなり熱してみただけだけれども、後日いろいろ下調べした上で実行し、最終的にまとめてみたいと思う。

| 書籍・雑誌・漫画・アニメ | 09:24 AM | comments (0) | trackback (0) |

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