黄金比について。
シャルル・ブーロー(著)『構図法 名画に秘められた幾何学』の日本語版序文には「・・・ところが、わが国では、伝統的に、構図を数理的に考えることがほとんどなかった。すべては直感というか、勘の世界なのだ。どちらが優れているかの論はべつにして、ここに日本人の油絵の、構造的な弱さの一因があるのは、たしかだろう・・・」というくだりがあるが、全く同感である。しかしながら、構図法を数理的にキチンと考えるというような話をすると、直感派の人が現われてびっくりするほど怒りまくったりすることがあり、注意が必要である。逆に構図法の本を読んだが為に、絵画のほとんど全ての意味を構図に求めてしまうような場合もあって、それもどうかと思うわけである。構図法も直感も両方大切であって、どちらか一方に限ってしまうのが、そもそもバランス感覚を失調しているのではない。そのバランス配分は、各人が扱う題材や作風によっても異なるから、最終的には個人の判断となるのが筋であろう。

というわけで、構図を数理的に考えるという点はもっと美術教育に取り入れられていいかと思うのだけど、そうなると決まって登場するのが「黄金比」なんですな。エジプトのピラミッドや、アテネのパルテノン神殿、その他の様々な地域、時代の建築物やら、名画の数々に見出すことができるということになっている。それどころか、巻き貝とか、人体の比率など、森羅万象なんでもかんでもという感じで、いろいろ尾ひれがついて回るのだが、本当なんだろうか? と思わず疑ってしまいそうになるのだけれど、でも、ネット上のコメントなどを読むと、スゲー!って感じで、みんなそのまま受け入れてしまっているようである。解説書によっては、神秘の数字とか、古代から使われてきた絶対の美の基準であるとか、そのような文句が散りばめられているが、事の真偽はともかく、そのような話を聞いた際に少しも疑わないとしたら、ちょっと警戒心が無さ過ぎて危機管理上よろしくないと思わないでもない。正直のところ、黄金比を語れるほどの知識はないのだけど、いろいろもやもやした気持ちがあったので、手元にあった黄金比関連の本を軽く読み返した他、新たに注文したり、図書館から借りるなどして、読み漁っていたりしたのである。今は目の前にどっさりと黄金比の本が積まれており、はたから見たらどんだけ黄金比が好きなんだよと思われそうである。

実は黄金比はちょっとしたピンチかもしれない。もちろん、数学上の黄金比に格別の価値があることには変わりはないだろうが、美の基準みたいな、いろいろくっついていた付加価値みたいなものが再考されつつあるような気配がしないでもない。マリオ・リヴィオ(著)『黄金比はすべてを美しくするか?』は原題がThe Golden Ratio: The Story of Phi, the World's Most Astonishing Numberというらしいので、邦題はちょっと煽り気味な感じがするけれでも、数学としての黄金比の歴史を分かりやすく真面目に解説していて、その上で建築や美術で使われたとされている事例について検証しており、ピラミッドやパルテノン神殿に関しても黄金比を利用して築かれたという点が否定的に捉えられている。

自然や人工物に限らず、黄金比と言われているものは、実測してみると、黄金比というには誤差がありすぎる、あるいはそもそも黄金比と全く関係ない数値だったりすることが少なくない。wikipediaの「黄金比」の項は(他言語の同項目と比べて大した記事ではないのだけれど)、オウムガイが黄金比なのかどうかということで、ちょっとした編集合戦があったことが伺える。オウムガイの殻の構造は黄金比の例として頻繁に言及される。しかし、実際のオウムガイの測定値は「対数螺旋ではあるが、黄金螺旋ではない」というような記載が英語版Wikipediaになされ、それをもとにかどうか、日本語版に加筆されてネット上で広まり、各所でちょっとした衝撃を与えたようである。現在は、はっきりと否定した文献がないということで「・・・植物の葉の並び方や巻き貝の中にも見つけることができるといった主張がある」という感じに落ち着いている。

実は日本語版も出ているアルプレヒト・ボイテルスパッヒャー,ベルンハルト・ペトリ(著)『黄金分割 自然と数理と芸術と』に「・・・しかし、このようなみごとな性質は、対数螺旋ならどれにでも見られることを述べておかなければならない。黄金螺旋や妙法螺旋だけが、このような際立った役割を果たすわけではない。たとえば、オウム貝の螺旋は、黄金螺旋でも妙法螺旋でもないのである。黄金分割との関係は、本章で記述した初等幾何学的構造にとどまる・・・」と述べられいる。しかも同章は「…本章で述べる螺旋は、黄金分割とかかわりをもってはいるが、そのかかわり方は、著者等の考えではそれほど深いものではない。それでも、螺旋は、黄金分割との関連で言及されることが多いので、省いてしまうわけにはいかない・・・」という嫌そうな感じで螺旋の章を始めている。自分にとっても巻き貝はどうでもいい。

次に人体に黄金比見付かる、あるいは人体は黄金比で構成されているという話であるが、例えばヘソの位置が黄金比とされているが、スコット・オルセン『黄金比』では、長年の測定によると、「とくに多かったのは5/3(=1.67)だが、なかには8/5(=1.60)>もあった」とされており、しかし、それで充分黄金比の近似値と結論されている。まぁ、5/3もフィボナッチ数列であるから、黄金比に含めてもいいのかもしれないけれども、1.67は微妙なラインのような。。。ちなみに、平均的日本人が自分を計測すると、もっとすごいことになってて衝撃を受けるであろう。これは、美的に理想的な人体の比率が黄金比であって、べつに人体に黄金比が内包されているという意味ではないのかもしれない。いずれにしても、へその位置がそんなに重要だろうかと思わないでもないのだが。。。

やはり最大の関心事は、美術関連で古くからある作品に関して、制作者が黄金比を知っていて利用したのか、それとも美的に安定した形にしたら偶然に黄金比に近い値になったのか、あるいはそもそも黄金比の近似値は多少複雑な形を持ったものなら探せばいろいろ見付かるというだけで、取り立てて大げさに美の基準とまでいうほどのものではないのか、等々のような点である。で、手元に集めた各書の主張をいろいろ読んでみたのだが、気が向いたら感想など書いてみようかなと。

| 絵画材料 | 01:46 AM | comments (0) | trackback (0) |










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