2010,12,06, Monday
用意したのは、スーパーで買った若鶏肉の骨(食べ残り)。
変な味付けすると不純物となる可能性を考慮し、水炊きにして食した残りである。 しかし、改めて骨というものを観察すると、軟骨やら骨髄やらいろいろと一定の構成じゃないので、結果の予測が難しそうな気がした。綺麗に洗ったつもりでも、なんかいろいろな有機物が付いている。そして、ちょっと置いているだけで、すぐに腐敗して腐臭を放つ。食卓の下に鶏骨を見付けたら、すぐさま火にくべよ、とチェンニーニも書いていたが。。。むかし理科の先生が、豚頭骨の標本を作るために、豚の頭を花壇に埋めたことがあってですな、掘り返すときに見てたら、まだ腐りかけの状態で、ものすごい量の虫がうじゃうじゃと出てきて、それはもうグロい光景だった。それと比べると、象牙だったら素材としてはずっと扱いやすいのかもしれない。中身も均質で骨みたいな複雑さはないかもしれない。まぁ、象を狩ったことはないので、どんなもんかは知りませんが。 チェンニーニの書では、黒を作る箇所には骨を使った顔料は書かれてないみたいである。練習用板に使用する骨粉の作り方については書かれているけれども、これはたぶんメタルポイントのひっかりになるための下地用で、「灰よりも白くなったら」ということだから、白でありますかな。ウィトルウィウスとテオフィルスもさらりとチェックしてみたが、葡萄の蔓はかならず触れられているのに、動物の骨の黒がない。なお、見落としてたら教えてください。 ともかくまずは焼いてみることに。 今回はアルミホイルで包んでコンロで加熱という、簡易的な炭作りの手段を用いた。 アルミ箔で2重に包み、上に小さな穴を開けている。ただし、アルミ箔の隙間からうっすらガスが漏れているので、べつに穴は必要なかったかもしれない。やってみて気が付いた点としては、アルミ箔はコンロの火で長時間熱するには耐熱性がいまいちで、途中ボロボロと崩れてくるってところですかね(これは後々まで悩まされたので、しっかり焼こうというときはアルミ箔には頼れないと言える)。 一時間以上火にかけて、煙の量も減ってきたので、一旦終了。 冷めたのちに、恐る恐る中を確認してみた。 少し茶色くて、まだしっかり炭化しきっていない様子である。でも、そんなに悪い状況には思えない。 骨髄の部分は消えて無くなっている。 真っ黒くなるまで再び火にかけよう、というところで次回につづく。 |
2010,12,04, Saturday
ヴァインブラックの素材は「葡萄の蔓」(または枝)と書かれていることが多い。葡萄は栽培したことがないので、実体験としてはあまり知らないのだけど、ネットで画像などを見る限りでは、葡萄の蔓はなかなか凄い。葡萄を栽培してたら、蔓とかいっぱい出てきそうである。ウィトルウィウスの書にもヴァインブラックが出てくるけど、古代地中海世界でも、その後のヨーロッパでもワインがずいぶん飲まれていたようだから、葡萄の蔓は捨てるほどあったのだろう。顔料として適していたのは確かであろうけども、たくさん在ったというのも、ヴァインブラックが使われた理由かもしれない。そう考えると、個人的に葡萄とほとんど接点のない自分にヴァインブラックを作る理由はあるのかと自問せざるをえない面もある。しかし、身近に葡萄の蔓はないけれど、素材として「絞りかす」などと書かれている書物もありまして、考えてみるとワインを作れば絞りかすも大量に残ったであろうし、これも使われたことでしょう。クヌート・ニコラウスの本だと「ワインブラック」と書かれていましたが。
絞りかすでよいのなら、食べかすでもいいかもしれぬ、というわけでスーパーで葡萄を買ってきた。 アメリカ産オータムローヤルというものである。どの種類がいいかとか迷いそうなところであったが、店頭にこれしかなかったもので、他に選択肢がなかった。桃があったら、ピーチブラックに路線変更したところであろうが、今はもう無いようだ(経験者の方の話によると桃核炭はたいへん固いそうで)。 まずは、買ってきた葡萄を完食する。 量が足りないような気がしたので、さらにもうひとパック買って食べたが、この時点で何か非常に間違っているような気がしないでもない。 ここで一例として、ヴァインブラック製法のソースを挙げてみると、ウィトルウィウスの建築書では、まず、油煙(ランプブラック)と思われる顔料の製法が書かれ、その後、その顔料が間に合わなかった際の応急の手段として、炭系の黒の作り方が述べられている。「・・・葡萄の枝または脂気の多い削り屑が燃やされ、それが炭になった時火が消され・・・」(『ウィトルーウィウス 建築書』東海大学出版会)という具合である。ウィトルウィウス、テオフィルス、チェンニーニに、さらりと目を通したが、黒系の作り方はだいたいみんな似たようなものである。 今回は、以前、デッサン用木炭を作ったときの方法でやってみたいと思う。すなわち、半密閉の容器内で蒸し焼きにする方法である。 蒸し焼き用の容器として、100円均一でスチールの小物入れを購入。 葡萄の食べかすを押し込み、フタにはガス抜き用の小さな穴を開けておいた。 カセットコンロで蒸し焼き開始。 この容器、スライド式のフタがついていのだけど、隙間からガスが抜けていゆく。 下手すると酸素が供給されて灰ができてしまうかもしれぬと、ちょっと心配。 量が少ないからか、30分程度で煙が出なくなったので、火を止めた。 あまり続けると灰になるので、頃合いを見て止めるのだが、その辺のタイミングの判定がまだまだよくわからない。 う~ん、微妙な炭ですなぁ。 やはり蔓の方がいいか。 蔓、写真で見る限りでは、炭を作るのに向いてそうな予感がする。蔓そのものが売っているところはあまり見ないが、葡萄の蔓で作った工芸品はいっぱい売っているので、それを使うという手もある。しかし、そういうのは手作り品が多く、作者に悪いような気もする。あるいは葡萄に限定せずに、何らかの蔓でよいなら、庭にないこともない。蔓植物なら、一般的な木材よりも軟らかくて顔料にしやすいという可能性も考えられるが、その辺は今後の課題である。 しかし、失敗かと思われた食べかすの炭であるが、乳鉢でゴリゴリとやってみると、なんかいい感じの黒であるような気がしてきた。 これがどんな色になるかであるが、実は既にボーンブラック作りも進んでいるので、そちらと一緒に比較しつつ試したい。 |
2010,11,28, Sunday
木炭というのは、ようするに炭であるから、手頃なサイズの枝を炭にすればいいのかなと思いついたので、さっそく試してみることに。
※思いつきでやってみただけなので、以下の方法がいいかどうかはわかりませんから、その点を踏まえてお読み下さい※ まず、「燃える」という現象は、光や熱を放ちながら、酸素と結合して気化あるいは煙となって去ってゆくということでよろしいでしょうか。木材などの可燃物を燃やすと、黒い炭になり、仕舞いには灰が残る。木炭を得るには、灰となる前の炭の状態を作る、あるいは空気を遮断して蒸し焼きにするという感じでありましょうか。ちなみに、植物などは微量の金属元素などを含んでおり、それが灰となって残るわけで、灰を釉薬として陶磁器を焼けば、含まれる金属の配合によって、いろいろな色味が出るわけである。この灰となるはずだった微量の金属元素も、木炭に含まれているでしょうから、このような不純物が色味に影響するのでしょう。 で、炭を作る方法だけれども、最近はミカンや栗などをその形のまま炭にするという、炭アートなどが流行っているようで、ネットで検索すると炭作りの方法がいくつも見つかるから、それらを参考してみましょうかと。。。 以下のページを参考にさせて頂きました。 http://yasuis.com/project2/sumiyaki.html http://inakasyokutaku.blog23.fc2.com/blog-entry-71.html 木炭は素材によって硬いものとか柔らかいものとか出来るようで、ヤナギの枝なんか有名だけれど、残念ながらヤナギは無いので、今回は伐採したまま放置されていたツバキから枝を拝借した。 画用木炭ぐらいの長さに切ったところ。 なお、『画材の博物誌』によると「リグニンの多い針葉樹は画用木炭にならない」そうで。。 蒸し焼きをする器であるが、炭の長さに調度よさそうなブリキ缶を100円均一で買ってきた。 できるだけ隙間のないように、枝を詰める。 ※ちなみに『画材の博物誌』では陶製の容器、チェンニーニは素焼きの器とある。 ※後日、画材メーカーの方から聞いた話では、明治ミルクのカンなどを使用していたこともあったそうで、今回選んだ缶の形状はそれほど間違っていないといえるでしょう。 フタに煙を出す穴を開ける。水蒸気やガスを逃がすためである。 なお、『画材の博物誌』では密封と書いてあったし、チェンニーニでも「いかようにしても空気が逃げないようにする」とあった。 今回用意した枝は乾燥しきってはいない様子だったので、水蒸気が逃げる穴が無いといけないと思うし、タールや木酢液のようなものも逃げて欲しいと思うが、細かいことはまだ経験不足でわからない。 で、カセットコンロで加熱開始。 煙のようなものが出てくるが、はじめのうちは、これは素材の水分が蒸気となって出ているそうである。 臭いがけっこうキツイので、住宅地では無理であろう。室内でやると住人が薫製にされそうである。田舎なんで、たまに野焼きしている人がいて、まぁ、ときどきこんな臭いが漂ってくるのだが、さすがに何度もやっていると苦情が来そうな予感がなきにしも。。※臭いに関しては素材の種類にもよると思われるが、今回の原因はスチール缶の塗料のせいかもしれない。この後、たびたび炭作りを行なったが、このような酷い臭いはしなかった。 圧力でフタが外れないか心配になってきたので、鉢を被せてみた。 1時間半以上経っても煙は出続けた。 煙の質がちょっと変わり、青白くなるそうである。この第二段階の煙は炎を近づけると火が着くという。 確かに火を近づけたら、燃えた。 この煙の出方が少なくなってきたら火を止めてよいそうである。 1時間45分ぐらい加熱を続けたところで、煙が少なくなってきたので、火を止め、冷ましてから、フタを開けてみた。 先っちょがまだ微妙に茶色くて、炭化しきってなさそうにも見える。しかし、それは上の部分だけで、全体としては漆黒になっていた。 縦長の缶を使ったので、上の部分でムラができてしまったのは、ある程度は致し方あるまい。 これが完成した木炭。 カッターで削ってみた。 芯までしっかり木炭である。 カッターでの削り具合も、市販の木炭と変わりない手応えである。 しかしながら、木炭を使用していたのは美大受験予備校生だった頃であって、実に十数年ぶりにさわったようなものなので、これが実用レベルのものかどうか判断しかねるものがある。まぁ、べつに実用レベルまで考えて作ったわけでもないけど。 水彩洋紙に試し描きをしてみた。 ちょっと思い出してきましたな。木炭の使用感。最初は紙に着かなくて、指で擦ったりして擦り込んでいくうちに良い色になっていったものです。 それにしても、細長いスチール缶を使っただけで、けっこうな量の画用木炭が作れるものですね。 蚊取り線香の缶にアルミホイルのフタ、というパターンで行なえば、この数倍の木炭ができそうである。底面も広くて熱が上手く伝わりそうだし、満遍なく炭化したものが得られる予感が。 蚊取り線香缶にぎっしり枝を詰めると、美大受験生一年分の木炭は軽く得られそう。 |
2010,08,31, Tuesday
コハクとコーパルはどんなところが違うのか、どのぐらいの差違あるのか、という点について、実際に素材に触れながら体験してみたいような気がしないでもないという話の続き(なんの脈絡もオチも結論もない点を予めご了承ください)。
その1はこちら↓ http://www.cad-red.com/blog/jpn/index.php?e=795 左が琥珀(たぶん)、右2点がコーパル。 マダガスカルコーパルは、マニラコーパルのようにアルコールに容易には溶解しないけれども、徐々に軟化して一部は溶けているかと思われるぐらいになったのは過去に書いた通り。 http://www.cad-red.com/blog/jpn/index.php?e=800 ↓ ↓ ↓ その後、樹脂の軟化はさらに進んで、こんなふうになっている。 溶けたと思われる部分だけ、実際に木材にニスとして塗ってみたりもした。 実は同時に琥珀の方もアルコール(無水エタノール)に浸けておいたのだが、あれからずぶん日数が経ったにもかかわらず、見た目にはほとんど変化がないようである。 ↓こんな感じ。 やはり琥珀とコーパルは、別の段階として差別化するべきな感じの印象が強い。 でも、よく見ると、アルコールが少々赤く染まっているようにも見えるので、多少は何かが溶けているのか。それとも琥珀を赤く見せるために染料が塗ってあったのか。 試しに、アルコールから琥珀を取り出してみたら、層が捲れるような感じで、形が崩れていた。 部分的に溶けやすいところと、そうでないところがあるのだろうか。いずれにしても、コーパルとは全然溶け方が違うのは確かだが。 そもそも、この琥珀が正真正銘の天然品かもちょっとわからないのだけど。 俵屋工房さんより頂いていたクレマーピグメントのアムバーがあったことを思い出したので、実験に参加させる。 無水エタノールに漬けて数日。 コーパルみたいに軟化したりはせず、溶けているようには見えないが、微妙に色は染み出すんですなぁ。 樹脂に対してアルコールの量が多いので、適正な比率ならニスの色成分として役立ちそうな感じがしないでもない。 クレマーの材料販売サイトの解説を参照しようかと思ったが、昔の本の抜粋がPDFで掲載されているだけみたいである。 一般的に琥珀というのは採取されたもののうちで、研磨等の単純加工で宝飾品として使えるものはごく一部で、ほとんどはそのようなグレードではなく、熱処理その他で再加工して再生琥珀やらアンブロイド、またはその他の用途に使用されるという。宝飾品用のものも、形を整えるときに切片が多く発生するであろうし、たぶん、そんな感じの細かい部分かと。 というわけで、引き続き観察してみることに。 |
2010,08,27, Friday
テンペラ用支持体石膏地の支持体としても定評のある共芯のシナ合板、ネットでも注文できるところがないわけではないけれども、注文方法が面倒だったりで少々億劫な面もあったりしたが、ゆめ画材さんで取り扱っていたので、注文してみた。
ちなみにカテゴリー的には、 版画用品 › 凸版 › 版木 › シナベニヤ 特厚(9mm厚・5層)のところ(他にも版画関連のサイトで取り扱っていたりすることがある)。 基本的に版木用途だと思われるので、支持体用として売っているわけではないから、ご利用は自己責任で。 個人的には9mm厚のものをよく使用するので購入したけど、もっと薄いものもある。 テンペラ画で小さいサイズしか描かない場合は、厚いものを利用するのがなにかと利点が多いので、以下のところの合板が買える。 ゆめ画材 › カテゴリー > 古典技法と顔料 › 道具 › シナベニヤ板 価格を考えると、木材店で買った方がずっといいけど、試しに葉書大を注文してみた。 で、届きました。 特製ベニヤ板60×90cmシナ材共芯9mm厚(5層) |
2010,08,06, Friday
コーパルと琥珀の違いが、いまひとつ実感できていないような気がするので、両者を識別する方法として、一般的に言われているものを試してみようと思い立った。
コーパルは絵画材料用として手元にけっこうあるのだけれど、琥珀の方はあんまり無かったので、実験用にヤフオクで傷物品を安く落札してみた。本物の天然の琥珀かどうか不安であるが、琥珀に触れる機会が少なかったので、自分には簡単には鑑別できない。合成樹脂かどうかは、熱した針を表面に付けるときの臭いが、化学的なものか樹脂っぽいものかによって判別できるとされるが、実際に試みた感じでは、脂っぽいような気がしたので、合成樹脂ではないだろうと。。。 琥珀の鑑別方法は下記を参考にさせていただきました。 http://www.atelier-blueamber.com/amber-nature/immitation.htm 左から琥珀、次は以前のエントリーで紹介した、コーパル研磨セットのときのコーパル(マダガスカル産)、隣の大きいのが先日購入した虫入りコーパル(マダガスカル産)である。 で、琥珀とコーパルの違いであるが、まずは硬度の面で「琥珀の方が硬く、コーパルはそれより柔らかい」とされる。これは何らかの方法で傷を付けるなどすると実感できそうな気がするが、触った感触だけでも充分にわかるような気がする。 次に「琥珀は海水に沈み、コーパルは海水に浮く」という話もあるので、試しに食塩水に両者を入れてみた。 確かにコーパルは浮き、琥珀は沈んでいる。 べつのコーパル(マダガスカル産)でも試してみた。 マニラコーパルも試してみた。 ダンマー(スマトラ)もやってみた。 食塩水の濃度は適当にやっていたのでわからんのですが、かなり濃い。ちなみに真水では琥珀もコーパルも両方沈む。 で、もっとも確実な方法なのがエタノールの反応。「コーパルはエタノールに溶けるが、琥珀は溶けない(ただし圧縮加工琥珀は少々溶ける)」とされる(ちなみに、コーパルはランニング処理などしないとテレピンには溶けないが、アルコールには簡単に溶解してニスを作れます)。 虫入りコーパルに筆で消毒用エタノールを塗布してみた。 表面が溶けて白濁し、透明度で綺麗だったものが残念な見た目になってしまった。 琥珀にもエタノールを塗ってみる。 溶けたり白濁したり等は起こらない。 |
2010,06,21, Monday
コーパル樹脂を研磨するという商品を買ってみた。
いや、実は買ったのは数年前の話で、天然樹脂の入手先が今ほどネット上にたくさんなかったときに、東南アジア以外のコーパルっぽいなぁと思って手を出したわけである(実際、マダガスカルコーパルだった)。コーパルを磨こうなどという気持ちはなかったので、そのまま放置していたけれど、ここにきて、なんだか急に磨いてみたいという気持ちがわき起こったので、徐ろに取り出してみた。 商品の構成は↓な感じである。 コーパル樹脂と、800番、2000番の耐水サンドペーパー、説明書だけである。 説明書 もう、説明書で説明しきれてしまっているので、あまり書くことがない。 磨きにくそうな形の樹脂塊ばかりなのだが、一番無難そうなのを選んでみる。 磨いてみたが、付属のサンドペーパーがちょっと小さいような気がしないでもない。 800番で形を整えてみた。 もっと形を整えたかったが、これ以上やると、最終的には無くなってしまいそうに思えたので、この辺で妥協する。 その後、2000番で磨くと、↓のようにちょっと宝飾品っぽくなってきた。 2000番と言えども、サンドペーパーであるからして、これ以上は滑らかな表面になりそうにない。宝飾品みたいにしたければ、以降はコンパウンドと布などで磨くことになるのかも。 虫眼鏡でじっくり観察したが、ゴミようなものばかりで、この樹脂塊には虫は見あたらなかった。 |
2010,05,26, Wednesday
フェルメール矩形のキャンバス用木枠、冗談のつもりで書いた記事だったけれども、ちょっと面白そう、というか、自分も欲しくなってきたので、まだ軽くであるけれども、企画を煮詰めてみました。
■前回の記事 http://www.cad-red.com/blog/jpn/index.php?e=759 現在のキャンバスの寸法はF、P、M、Sの4種類の規格が広く流通しており、大部分の制作者がこのいずれかを使用しているが、既製キャンバスが現われるまでの絵画は、決まった縦横比はなく、さまざまな縦横比の画面に描かれていました(「近代以前にはカンバスをまず仮枠に張って制作し、完成後に、作品の大きさに合わせて木枠と額をつくるのが通例であり、したがって木枠には定まった形や大きさの規格もなかった」『画材の博物誌』P.199) 参考までにフェルメールの作品一覧をご参照。 http://www.salvastyle.com/menu_baroque/vermeer.html フェルメールの作品にはF型に近いものあるが、大半はそれより長辺が短いものが多い。Webページに記載の寸法を参考にすると、「牛乳を注ぐ女」は比率、1:1.109、「ヴァージナルの前の二人」は1:1.148、「レースを編む女」1:1.166、風景画「デルフトの眺望」は1.192、となる。F型(1:1.236)より短い長方形は、特にフェルメールやピーテル・デ・ホーホが愛用していたが、既製キャンバス以前の時代では、他の画家でも高い頻度で見られる縦横比である。 そして現在、F型より細長い矩形についてはPとMがあるが、反対にFより長辺が短い矩形のキャンバスが流通していない。その為、現在はこのような矩形に描く人はだいぶ少なかろうと思われる。F型の次には正方形のSが控えているが、過去の名画にしても、全く正方形ということは滅多になくて、多少は縦横の長さが違っているものである。仮枠上で描いて、後に別の木枠にて額装するという方法によるところもあるかもしれないが、やはり、まるっきり正方形というのは、構図に例えるならメインのモチーフを丁度真ん中に置いてしまうような窮屈さが無きにしもあらずである。S型愛用者にとっても、若干縦横比が異なるという矩形が選択肢としてあれば、魅力的であろうかと思われる。 というわけで、S型とF型の中間の縦横比の木枠を「規格化」とまではいかないけれども、一部を製品化するという感じです。フェルメールは特にこの比率が顕著であるため、商品として成功させるにはフェルメールのようなネームバリューが活用できれば都合がよい。別にフェルメールでなくて、適当に画家の名前や名画などを持ち出してもいい(近代以前の画家の作品集など開けばたくさん見付かる。残念ながらレンブラントはF矩形近似が意外に多いので適していない)。似商品のチェックはあまりしていないが、とりあえず、国内の主要メーカーのカタログを見たところではFPMSしかなく、主要なオンライン画材店でも商品分類がFPMSで分けられていた(知っていたらコメント欄にお知らせください)。 縦横比は1:1.10~1:1.15の範囲がいいかと思う。フェルメールに合わせれば、1.15がちょうど良い。1:1.1は現代の画家には短すぎるかもしれないが、一部のF規格、例えばF10、F12号の縦横比が1:1.20を切っているので、これらの場合、1:1.15では差が明確でなくなる可能性もある。最大サイズは50号でよろしいかと思う。50号の長辺117,5cmというサイズを流用した場合、「デルフトの眺望」と同じくらいの大きさになる。それ以上の大作は、むしろ特寸で1から考えてもいいかと思うので。 ちなみに、わりと大きな作品である「デルフトの眺望」は1:1.192と実は若干細長い。「アトリエの画家」になると、ほとんどF矩形である。単純にフェルメールを意識した場合、大きなサイズになる従ってF矩形に近づけるという方法も考えられる。例えば、50号あたりで、1:1.19に持っていけば、50号を「デルフトの眺望」と同じ比率ですと言って販売することもできるし、これはかなり魅力的である。しかし、もっと大きな作品、例えば、ベラスケスのラス・メニーナスは1:1.15ぐらいであるから、別に比率を変えなくてもよいかもしれない。参考までに、その他でよく知られた作品では、12号ぐらいのサイズにフランス・ハルス「ジプシー女」1:1.115、100号ぐらいにティツィアーノ「バッカスとアリアドネ」1:1.09、200号ぐらいに、ダヴィットの「サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト」1:1.17等がある(※軽く調べただけですので、間違っている箇所あるかもしれません。また、諸々の理由から、画家が当初作成した画面と現状が異なる場合があります)。 |
2010,05,21, Friday
キャンバスに絵を描こうと思うと、事実上、メーカーの作った木枠以外に選択肢がなさそうに見えるのは何故なのかしら。
『画材の博物誌』P.199には「近代以前にはカンバスをまず仮枠に張って制作し、完成後に、作品の大きさに合わせて木枠と額をつくるのが通例であり、したがって木枠には定まった形や大きさの規格もなかった。桟木の互換性も必要なく、隅の木組みはじょうぶであれば、手法を問わなかった。この伝統は、一八世紀初頭まで支配的だった」とあるが、実際どんなものだったのか、今までさほど感心がなかったので、手元にぜんぜん資料がないのだけれども、谷川渥(著)『図説 だまし絵―もうひとつの美術史』という本に、手がかりになりそうな図版が多数載っていたので、そちらを引用させてもらいつつ考えてみることに。 まず、ヘイスブレヒツのだまし絵作品(17世紀中頃)。 画布がめくれて、木枠が見えているが、今の木枠のような傾斜もなく、ただ角材を組み合わせただけのように見る。ちょっとしたホゾみたいにはなっているだろうけど、現代の木枠ほどでもなさそうである。 パレットがあるので、制作中?、あるいは完成直後? ↓は別の作家のほぼ同じ年代の作品。 腕鎮やパレットが描かれているので、制作中の様子に見える。 やはり木枠はただの角材で、傾斜もなさそうである。釘のようなものが見える。 現在のように木枠を画布でくるむのではなくて、木枠の内側に画布が張られている。下の方は紐で引っ張っているが、縦横比の違う作品でも同じ仮木枠を使っていたのかもしれない。 それにしても、さっきからキャンバスの上にナイフみたいなのが見えるのだが。何だろう? 何かの象徴? それとも、これで画布を仮枠から外すのだろうか。木枠に麻布を張って膠引きすると、染み込んだ膠でくっついたりすることがあるし。 ↑こちらも「だまし絵」で、イーゼルやキャンバスなどの形になった、巧妙な変形キャンバスに描かれたものだけれども、裏返しになったキャンバスが見えている(これも絵である)。 「桟木」が適当な感じで付けられているが、実際、こんなものでもいいのかもしれない。 だまし絵だけで判断するのもちょっとあれだし、参考の木枠が小品ばかりなので、まだまだ疑問点も多いのだが、これらの画像を見る限りでは「桟木の互換性も必要なく、隅の木組みはじょうぶであれば、手法を問わなかった」というのは、実際その通りな感じがする。 で、なぜ、現代だと、立派な木組み、桟木、傾斜を備えた木枠を使わなければならないのかというと、まずは、キャンバスを買うときから、制作中から、額装まで、木枠とキャンバスが一体化して取り扱われている傾向があるせいかも。描くときから、立派な木枠が必要ということか。ただし、17世紀のだまし絵には、額装後に裏返したキャンバスみたいな作品もあったりするが、そこに見える木枠も仮枠と同じくらいシンプルである。 以降の話は、ほとんど完全に予測上の話で、細かな検証はしていないのだけれど、角の木組みが重要になってくるのは、昔よりもキャンバスをきつく張っているせいかもしれない。これは、絶対に弛んではいけないという思い込みもあるかもしれない。「かつてはピンピンにキャンバスを張ってはいけないと言われていた」という話を、以前、mongaさんから聞いたような憶えが(記憶違いだったらすみません)。日本だと湿度の差が大きい気候のせいで、天候によるたるみなどを防ぐために、より引っ張って張っているということも考えられるかもしれない(未検証)。次も厳密に計ったりしたわけではないのだけど、画材店で市販キャンバスを触ってみると、麻+膠目止+油性地塗りキャンバスはなんとなく堅めで、あまり木枠に頼らなくても支持体としてそこそこの堅さを持っているような気がするのに対し、化繊混合、PVA目止、アクリル地塗りのキャンバスはちょっと柔らかいので、木枠に依存する率が大きいということがあるかもしれない。あと、プライヤーで引っ張ると、妙に伸びるキャンバスもあるような。。。高校の頃、美術の先生から、絵は木枠から外したお仕舞いだと聞かされて、しかし後々考えると、ベネツィア派やルーベンスが完成した絵を木枠から外して輸送したというのに、なんで木枠から外すと駄目になってしまうのかと思ったものだけど、現代のキャンバスだとあり得ないことでもないのかも。実際に、木枠に張っていたときは大丈夫だったのに、外した途端に厚塗りした絵具が樹皮みたいに剥がれてきた例を目撃したことがある。ちなみに、石膏地、白亜地などを行なったキャンバスは非常に固く、木枠の傾斜がなくとも大丈夫そうだという手応えがあるが、これらは曲げると割れるので、現代の市場ではちょっと難しい。 ※最後の方は、ほとんど想像上の話であることをご了承ください。 ■追加の参考画像 National Gallery Technical Bulletin Vol.20から |
2010,05,18, Tuesday
現行キャンバスの寸法が号数によって比率が違うなど、整合性の無さが当サイトの掲示板等で話題になっていますが、もし新しい規格を作るとしたら、どんなものがよいかというのをちょっと考えてみた(ちなにみ、ある程度、絵を制作していったら、やがては自分のスタイルに合った寸法というものがあらわれると思うので、オーダーして木枠を造り、オーダーしてフレームを作るというのが絵画制作の流れとして理想的なんじゃないかと個人的には思うのだけれども、とりあえず私の考えは別として)。
まず、Mという比率は規格から排除してしまうのがよろしいかと。実は、個人的にはMはわりと好きなので、けっこうな頻度で利用しているけれども、広く市場を見渡して、これは特寸でカバーしていいレベルかと思うので。黄金矩形だからって稼ぎの少ない人を住まわせおく余裕はないのよ、という意味ではなく、実際にMを使っていると、もっと長く伸ばしたいと思うこともけっこうあるので、このくらいの横長になったら、絵の構想に合わせて自由に寸法を決めるのが、良いのではないでしょうか。 そして次に、驚いたことに、規格からFもばっさり削除してはどうかと提案してみたりする。Fは肖像画サイズとも言われるが、現代のモードの肖像画ではPの方が収まりがよい可能性がある。 で、Fに替わって規格化するのは、Fよりもやや短い矩形である。 http://www.salvastyle.com/menu_baroque/vermeer.html ↑でフェルメールの作品群を参照すると、なんとなくF矩形より若干長辺が短いものが多いような気がする。Webページに記載の寸法が正確かどうかはひとまずおいて、「牛乳を注ぐ女」は比率、1:1.109、「ヴァージナルの前の二人」は1:1.148、「レースを編む女」1:1.166、風景画「デルフトの眺望」は1.192、という感じである。F(1:1.236)よりやや短い矩形は、既製キャンバス規格登場の前には、けっこう多い寸法であったかと思うので、それに立ち返ろうかと。。。巨匠の作品も既製キャンバスそのままで模写できる確率が(たぶん)上がります! 具体的な比率は何とも決定し難いが、「ヴァージナルの前の二人」に見られる1:1.148、または「レースを編む女」の1:1.166を候補して挙げてもよさそうである。惹かれるのは1:1.148のほうであるが、短すぎるとの反応もあるかもしれない。かなり語弊があるが、ひとまずこれを「フェルメール型」と呼んでおくことにする。 この型は、私の構想では現行のFに該当する主軸寸法であるが、現行主流のF規格と直接衝突しないので、一般ユーザーの混乱を招かないという、実行上の凄い利点が付随する。 そして、もうひとつ採用したい規格は√2矩形。P規格に相当するものであるが、現行のP規格は例によって不整合であるから、√2の正規版という感じでしょうか。√2矩形はコピー用紙などにも利用されており、2つに折ると半分の大きさの同じ比率ができるなど、なかなか合理的な値である。単に合理的というだけでなく、実際に使ってみると、静物画を描いても人物画を描いても、風景画を描いても何かと収まりがよかったりするとは思いませんか? また、下絵を描くときにコピー用紙が使えたりしてちょっと便利だったりも。ちなみに、P型に関しては元々の利用者が少ないので、新規格ができても、Fのような混乱はないでしょう。 というわけで、新規格は1:1.148のフェルメール型(仮称)、及び、√2矩形の正規P規格の2つに集約、あとは特寸を奨励。 もしうまく行ったとして、おそらく予測できる結果として、新規格と平行して、現行のF規格はたぶんずっと残って、広いユーザー層に使われるでしょう(現行Fは触らぬ神に祟り無しという感じで、そのままでいいでしょう)。現行P、Mは自然と消えてゆくという形になり、新しい規格を合わせて3種類の規格で落ち着くような感じになるかと。移行期の混乱を巧みに避けつつ、使用頻度の高そうな寸法を得られて、なかなかいいとは思いませんでしょうか。Mを排除した点は、(影響力は少ないかも知れないけれども)特寸の需要を多少なりとも拡大して、自由な比率への道を開くかもしれないとも。M、Fをスルーしたことは、黄金比から離れてしまうので、批判を受けるかも知れないけれども、その点に関しては丁寧に論破していく準備が着々と整いつつあります。 なお、国際サイズはあまりよくないと思うのだけど、その理由は、FPMと現在多量に流通している木枠や額縁を衝突して混乱を招きやすいということと、黄金比に傾倒しすぎており、マリオ・リヴィオ(著)『黄金比はすべてを美しくするか?』のような本が今後続けて出版されたりすると、間の抜けた選択をしたと後生の人に思われる可能性があるということで。 ※この記事は、冗談なので、あまり本気にしないでください。 |