2022,03,29, Tuesday
酸化鉄の赤、日本ではベンガラと呼ばれるところの顔料を作ってみたいと思います。
なお、テキストしては以下の論文を参考にしました。 児玉大成「亀ヶ岡文化を中心としたベンガラ生産の復元」日本考古学12巻(2005)20号 https://doi.org/10.11215/nihonkokogaku1994.12.20_25 できれば赤鉄鉱くらいは自分で見つけてきたいところですが、鉱物採集の知識がまだ足りず、今回はネットで買った腎臓状ヘマタイト原石を使うことにします。 楕円的な丸みの形状を腎臓状と言うらしいです。ヘマタイトはさまざまの形状や色の鉱物があって、たぶん、ツルッとした感じのものが固いのだと思いますが、固いものだと硬度5を超えてくると思われます。かつては鏡状のものや、つるっとしたものなど集めて、今も手元にあるのですが、全く赤くないのですが、でも条痕色は赤いので、砕けば赤、またはすくなくともパープルっぽい赤くらいの顔料にはなるかと思われます。 前傾の論文では赤鉄鉱の頁岩を採集し、頁岩は固いので、そこに付着しているコークス状の赤い部分を使って縄文人がベンガラを作ったという論になっております。コークス状の意味は最初ちょっとわからなかったのですが、石炭のコークスではなくて、多孔質という意味のようです。 実は今回の腎臓状ヘマタイトもひっくり返して裏を見ると、多孔質そうな赤い部分があるので、ここを中心に使えそうな気がします。 さて、これまではハンマーや乳棒で砕いておりましたが、今回の原石はちょっと堅そうに見えまして(実際はそうでもなかったのですが)、縄文人と同じように、石で砕いてみたいと思いました。 自宅の庭石の中で平らな感じのものを選び、タワシやらクレンザーやらで、せっせと洗いまして、表面の汚れと藻のような植物を落としました。 で、写真のような丸みのある堅くて重くて、ある程度の大きさの石で摺り潰します。 まずは石の重さを使って上から叩き潰す感じで、ズシズシと潰します。 ハンマーでやるとどうしても飛び散ってしまうのですが、叩き用の石がそこそこの大きさだと、破片がどっかに飛んでいくようなことが少なくて、とても良い感じです。 ある程度砕いたところで、赤い部分だけ集めました。 この部分や柔らかいので、乳鉢と乳棒であっという間に細かくできます。 それから、腎臓状の黒い部分。 これもまぁ、細かく砕けば赤色になるとは思いますが、こちらは別に粉末化してみます。赤いコークス状部分よりちょっと堅いような気がします。 しかし、叩くときに使った石を、今度は体重をかけてハンドル操作風に左右に円を描いて擦ってみたところ、実に簡単に細かくなってくれました。 こんな感じであります。 概ね赤褐色になりました。先に砕いた赤いコークス部分を砕いたものより若干彩度が落ちてはおりますが、乳鉢もさらに砕けば差は縮まるかもしれません。それにしても、大きな石で砕くとめちゃくちゃ楽ですね。乳棒よりずっといい。ポットミルよりも短時間で済みそうです。これでマラカイトも砕いてみたいところですが、台の方の庭石が少々柔らかいので、堅い庭石を探さねばなりません。 そして、この後水簸に進むわけですが、件の論文では、土器で煮沸していたようで、そうすると鮮やかなものになるように読めるのですが、加熱しない水簸と何が違うかは気になるところです。200℃くらいで加熱すれば、赤色度は上がるかと思うのですが、お湯で煮るということは最大でも100℃なのではないか、という感じもありますが、とりあえずは鍋で煮てみたいと思います。 |
2022,03,11, Friday
気がつけばもう春っぽくなってきておりますので、植物を買う時期になっております。毎年、いろいろ考えつつ、主に色材となっているような植物を中心に、美術史に関連するものなども買っていたりするのですが、日本の東北で育ちそうなものはたいてい植えた気はしているつもりになったりしますが、よくよく勉強を続ければ、まだまだ手の掛かってないものは多いのです。終わりはないと考えてよろしいところでしょう。
というわけで、まず本シーズン一発目ですが、クロウメモドキ(ラムナス)の苗を買いました。 実から緑の染料が採れるようで、それが本来のサップグリーンですが、絵画材料事典によれば、潰して液にするぐらいで緑にはなるようで、ドロドロの状態で家畜の臓器の革袋に入れて売られている場合もあるし、ミョウバンに染着することもあるというふうに書いているけれども、それは昔の話でありましょう。現在市販のサップグリーンは合成有機染料であり、本物の方は耐光性も甚だしく悪いようなので、売られることもないあまりないでしょうし、使うのも推奨できないかと思われますが、それはともかく緑が採れるか試したいところです。植物は緑色をしていることが多々ありますが、実用的な緑の染料が採れることはあまりないので、気になるところです。なおこの果実は人体には有毒のようです。 それから植物ではありませんが、土性顔料について試してみたいことが多々あります。幸い、大きなポットミルと回転台を譲り受けることができましたので、こちらも活用できないかと考えております。 以前このブログにも書いた小さなポットミルと回転台ですが、試行錯誤した末に顔料作りに役立つという程のものではなかったという感じであります。やはりある程度の大きさは要るかと思います。このポットミルは中のセラミックボールもずっしりと重く、大概のものを細かく粉砕しそうな予感がします。もっとも、まだ使ってみたことはないのですが。 ちなみに、回転台の方は、ロクロ回転機でありまして、その上に棒があって、ポットミルを回転させられうようになっている模様です。 ですから、本来は釉薬を作るといいますか、釉薬を砕くのが目的なのかと思われます。 |
2022,02,26, Saturday
我がラクティスですが、ディーラーにて6ヶ月点検を済ませました。昨年からの大雪の影響か下回りがけっこう錆びておりまして、マフラー近辺など部品を交換しなければならないかもしれない的な心配もあったのですが、今はまだよろしかろうということで、通常の点検だけで終わりました。降雪地は融雪剤によって車が錆びやすいわけですが、おそらくは冬はあまり錆びないのであろうと思います。気温が低いので腐食の進行は遅くなるかと。夏に塩カルを綺麗に落として、特に化学反応の進行しやすいときにまめにシャーシをチェックするべきでありますな。金属を腐食させて顔料を作り始めてから、そんなことを思うようになりました。無事、9月の車検が通ったならば、きっとその後2年は乗れるのでありましょう。そこが潮時かなという予感もありますので、今度タイヤ買うときは安いのにしておいて、それからエンジン周りの寿命を延ばす添加剤的なものも入れなくてよいかな、という気がします。そもそも半年毎にオイル交換してるのだからそれで充分でありましょう。それよりも毎年の錆止めコートを欠かさずやってもらうのが車の寿命延長には良さそうな気がします。気に入ってる車なので長持ちして欲しいところです。
さて、3月はあまり仕事の予定が入っていないので、というか、ほぼ入ってないので、この期間を使って未だに試して居なかった顔料の製法を試みてゆきたいと考えております。まず標的となるのは銅系の人工顔料です。代表的なものはヴェルデグリでありますが、ヴェルデグリというと人工の緑青による緑色の顔料を表すのであろうかとというのが私のぼんやりした認識ですが、文献状での知識しかありませんので、ここは実践的な面を試して知識を補強したいところであります。ヴェルデグリは広義では緑青全般について、あるいは緑青的な青い緑色を差す色名となっているようでもあり、ちょっと定義を狭めると意図してかあるいは意図せずとも銅が腐食してできた緑青を差すであろうかと思われます。銅にできる緑青は塩基性炭酸銅、酢酸銅、その他いろいろあり、この場合は化学式的に限定するのはできません。意味的に限定的にすれば、最終的に狭義ではヴェルデグリは酢酸その他の銅を腐食させるガスに銅をさらして作った緑青となるかと思われます。古代では既にプリニウスが製法を書いていますが、酢を入れた容器の中に銅を吊してフタをするみたいな感じだったと思います。これはやってみたんですが、もっと反応して欲しいと思った印象が残っています。腐食して緑青ができるとそれが膜になって中の腐食は進まないという理由もありますが、酢酸以外のガスも供給するべきではなかったかという疑問もあります。何しろ鉛白の作り方も酢の容器に鉛を晒してフタをするというものでありましたから。炭酸ガスを供給したら炭酸銅的になるのでしょうか? それはともかく、ヴェルデグリの作り方としては、他にも酢酸液の中で銅を溶かして結晶化させるという方法もあるようで、酢酸ガスにさらしてできた緑青をさらに溶かして結晶化させるということもあるようです。ダイレクトに銅から溶かして実践している例もネット上にはありました。なお、私も実はやってみようとしたことがあるのですが、ジャムの空き瓶に入れて溶かしていたら、フタが腐食して崩壊するという事故で中断しておりました。当時はネット上の情報が少なかったこともありますが、簡単に諦めてしまいましたが、今回はちょっと粘り強く試してみたいと思います。それからヴェルディターとかバイスなどと呼ばれる銅系の顔料(青~緑色)もありますが、これは人工の塩基性炭酸銅系かと思われまして、製法は全く別となりますが、これも合わせて試してみたいところです。以上、試すべきことは多々ありますが、しかし何はともあれ、銅を酢酸ガスで腐食させるという行為に勤しむのが第一歩であろうと思います。この季節は気温が低くて化学反応も鈍いという、季節的に向いてないということもありますが、夏にやると酢酸に虫が大量に寄ってくるという困った問題がありますので、特に今回は密閉状態ではない状況で酢酸上記に晒したいという考えもありまして、今の時期に試みるのもまた悪くはないという考えがあります。なお、いっそのこと緑系をいろいろ試してみたく思っておりまして、ヴァーディター、サップグリーン等についてやってみるというか、少なくとも素材の入手ぐらいは進めておきたいようにも思います。クリソコラも砕いて、テルベルトにも詳しくなって、緑系に隙の無い知識を得たいと考えておるわけであります。 |
2022,02,13, Sunday
昨夏にせっせと鉛板から発生させた自製鉛白、まだまだありますので、これを油絵具にしてゆかねばなりません。
鉛白を発生させるよりもこちらの方が実は大変だと思います。今回は、鉛白を水で洗う方法を変えてみます。海外サイトで書かれていた方法です。 乳鉢に自製鉛白を入れまして、そこに水を注ぎます。 ちなみに乳鉢の大きさはφ15cmです。 そして、乳棒で摺ります。 塊になっている感じのところを潰してゆきつつ、水で洗うというふうに考えております。ダマになっているところが、手練りの際に時間のかかる原因になっておりますので、これで手練りも若干は短縮されるかもしれないという期待をしております。 1~2時間放置すると、鉛白は下に沈殿します。 白い顔料の場合は、ガラス製の透明な乳鉢の方が視認しやすいのかもしれません。白い磁器製乳鉢だと鉛白の色に近すぎて、少々わかりずらいところがあります。 沈殿したら上澄みの水だけを別容器に移します。 ゆっくりと水を流せば、綺麗に上澄みの水を取り除けます。 そしたら、また水を入れて同じ行為を繰り返します。今回は4回洗いました。回数の目安は今のところわかりません。 参考にした海外サイトの記述では、濾紙とキッチンペーパーで水気を取り除くのですが、私の場合は、平らなさらに注いで自然乾燥を待つことにしました。 埃の落ちてこない場所に置かねばなりません。ちょっと皿に顔料を入れすぎで乾燥が遅そうに見えるので、もう1つ皿を用意して分散し、厚さを小さくしたいところです。この乾燥方法だと、水干絵具みたいに固まって、やはり手練りに手間取ります。あとは、あまり水に浸けたままにするより、素早く水気を切ったいいような疑問がちょっとあるのです。いずれにしても、練ってみるまでわかりませんが。なお、現時点での反省点ですが、乳鉢に顔料と水をたっぷり入れた状態で摺っても、あまり顔料は細かくならないようで、少なめの水で充分摺ってから水を追加するとよいのではないという気がしました。けっきょく塊はけっこう残りましたので。 |
2022,01,24, Monday
National Gallery Technical Bulletin Vol.26にThe Technology of Red Lake Pigment Manufacture: Study of the Dyestuff Substrateという、赤レーキ顔料に関する記事が載っているのですが、ようやく目を通しました。
※現在はPDF化されて無料でダウンロードできるようになっています。 https://www.nationalgallery.org.uk/research/research-resources/technical-bulletin/the-technology-of-red-lake-pigment-manufacture-study-of-the-dyestuff-substrate 個人的に気になった点でだけメモしておきたいと思います。まず、古い時代にはレーキを作る際の染料源として、植物や昆虫そのものではなく、染色済みの繊維を使用するのが通例だったようであり、確かに中世の技法に関する本を読むと、染めた布など使っていることがよく見られるので、そういうものなのでしょう。布に染めていたインクを溶かして文字を書くとか、なんか読んだこともありますが。手順的には、染色された繊維からアルカリで染料を抽出し、続いてミョウバンを添加して顔料を沈殿させるという、現在一般的なレーキ作りと逆のプロセスになります。18世紀に入っても文献のレシピはこのようであったとのこと。 そして染料源の繊維は羊毛や絹が使われていたようですが、アルカリで染料を取り出すと、動物性の繊維はいくらか侵されるので、特に羊毛の場合、強いアルカリで染液を取ると、古画のレーキから硫黄その他が分析結果に出てくる模様。絹の場合は染料が出やすいので検出されるほどにはならないようで。 それにしても、有機色材は様々なものが検出されるでしょうから、媒材の特定というだけでも、レーキ顔料の作り方まで含めて、多くの知識がないと間違った結論を引き出しかねないところもありますから、けっこうな知識と経験とそれらを整合する洞察力が要るであろうと思われるところで、なかなか高度な仕事であるなと思ったのですが、同時にやはり結論を安易に鵜呑みにしてもいけないだろうなという気もするところです。 しかし、ボロ布を使ったレシピもあったそうなので、昔の繊維の染色というのは色が後から取り出しやすかったのであろうか。今だったら、しっかり媒染剤を考えるなどして、色が出ていかないよう最善の工夫をするわけだけれども、昔は今みたいに頻繁に洗濯をしなかったか、あるいは繊維の種類によっては全く洗濯せずに使うパターンとかあって、ただ染液に浸けただけみたいなケースもあったのかもしれないと、これは私のただの感想ですが。 ところで、18世紀後半には虫や茜などの素材から染液を取りつつ、ミョウバン→アルカリ的な技法が使われてくるようになるみたいですが、間もなく合成の有機色材もどんどん出てくるであろう時期にもさしかかっていたわけですね。 |